この頃の僕を語らせておくれよ

つまりは雑記、上半期の振り返兼リハビリブログです。タイトルは宇多田ヒカルさん『Good Night』より。

2019年も後半戦となり、三宅さんと坂本さんの誕生日が過ぎ、長かった梅雨も明け、トニセンの舞台が始まり、もう8月。上半期を振り返ってみると私は代わり映えのしない仕事を週5でして、平均して月1くらいのペースで劇場へ足を運び、その合間合間に友人と会ったり会わなかったりしていた。

何かにつけて、自分の将来について漠然とした不安を抱えながら過ごすことが多かった気がする。老後二千万円問題とかありますし、転職もぼんやり頭をよぎったりするし。わりと真面目に生涯お一人様を想定しているので、あれこれ考えはするものの最終的に頼れるものはお金と健康だ!!という結論に行き着きます。実際大事よね、どっちも。幸いにもここまで大きな怪我や病気なく過ごせているので、この調子であと80年くらいのほほんと過ごしたい。あと宝くじで7億円くらい当てたい(強欲)。

趣味については3月頭くらいまではさすがに出掛けられなかったのですが、それ以降はほいほいチケットを取っていた。ここまでに観たのは以下の通り。そんなに多くないですがせっかくなので感想もちょろっと書いてみる。お察しの通り大して中身はないです。

  • 『空ばかり見ていた』

森田さんのやつ。岩松さんの作品を見るのは初めてだったのですが、人によって合う合わないは分かれる感じなのかなぁと思った。私はというと…全く受け付けない感じでもないけどぴったり趣味に合うわけでもなかった。

最終的にみんな死んでしまったのか。どこがどう繋がっていたのか。どれが事実だったのか。最後まで観ても明確な答えは何も提示されない話だと思ったけど、同時に漠然と「こういうのが人生なのかもしれないな」という感覚もあった内容でした。自分の周りで起こったことの全て、見たもの聞いたものの全てに絶対の自信は持てないし、物事は他者から見れば全く違うように捉えられることもしばしばある。他人から見える自分も、自分から見える他人も、側面にしか過ぎないのだ。あまりに不確かな日々の中で、上を向いて、手を伸ばして、それぞれがそれぞれの信じる幸せを求めてあがいていくしかないのだろうなと思いました。

 

  • 『在庫に限りはありますが』

橋本淳さん(『君が人生の時』のトム役をされていた方)が出ていると知ったので。あと設定に興味をそそられた。かわいいわんこのトム(※個人の感想)しか知らなかったので、正直この舞台での橋本さんがめちゃめちゃ怖かった。割と引きずってた。先日テレビで放送されていたのでそちらも見たのですが、やはり目の前で人が動いているのを観るのと液晶を通して観るのって感じ方が違うなと感じました。あらすじ等々頭に入っていたということを抜きにしても違った。

やさしさに在庫はあるのか。在庫の補充は出来るのか。私としては在庫はあるが補充も出来るものと思いたいのだけど、在庫が切れるのはいつなのか、どうやって補充するのか、そこからどのくらい持つのか分からない。やさしさだけではなく人の感情に共通すると思っている。

 

  • 『クイーン・エリザベス-輝ける王冠と秘められし愛』

長野さんのやつ。初めましての日生劇場で、ロイヤルチャラ男(語弊)ことロバート・ダドリーと圧倒的女王マオザベス様(大地真央さん)に謁見してきました。公開稽古の時のヅラの長野さんに最初は違和感しかなかったけど、しばらくじっと見ていたら目が慣れた(?)。世界史全く分からんマンだったので、とりあえず観劇前にエリザベスの生涯とロバート・ダドリーの生涯をググっておきました。Google先生は何でも知っている。

「自分が何者なのか」と葛藤する彼女が、最終的に女王であることを“自ら選んだ”と述べる場面が印象に残っている。“ただのエリザベス”ではなく、誰かから頼まれたわけでもなく、自分で“クイーン・エリザベス”であることを選びとった彼女を前にして言いようもなく震えてしまった。女性がどう生きていくかが話題となる現代、「何者であるか」を選べることを考えるお話だった。

 

  • 『One Man Standing 2019』

坂本さんのやつ。前回のOMSは行けなかったし今回もFC・一般共に全滅だったけど、ありがたいことにお声掛けいただいたり当日券チャレンジ(前日電話かけるタイプ)に成功したりしたので、諦めない気持ちは大事だと思った。ネバーキブアップ、ショーマストゴーオンの精神(?)。

序盤、たぶん始まって2曲目くらいでぼろっぼろに泣いてしまった。ポイント不明の涙腺激弱おばけなので絶対泣くだろうとは思っていたんだけど、それにしたって早すぎる。

あの空間で舞台の上にいたのはシンガー・坂本昌行であって、V6アイドル・坂本昌行ではなかったのかもしれない。ご本人もそんなようなことを仰っていた。正直私はどっちでもよかった。この人を見ていたい。ただそれだけだった。ここまでもさんざん坂本さんに恋をしてきましたが、だめ押しをされた気分です。

 

  • 『キネマと恋人』

こちらも橋本淳さんが出ています。再演もので「面白いよ」とおすすめされたこともあり、日帰りで名古屋にて観劇。座席につくまで双眼鏡を忘れたことに気づかなかったり(座席は2階でした)、到着が開演ギリギリになってしまい焦るなどした。自分の荷造りの甘さ、足の遅さ、地図の読めなさを舐めてはいけないという教訓を得た。

映画に生き甲斐を見出だすハルコにうっかり自分を重ねてみる瞬間があった。ぱっとしない毎日でも、スクリーンの前に座れば全部忘れてしまう。そこに行けばすくわれる、そこにいけば笑える。たとえ終わりがあるとしても。

最終的にハルコも、彼女の妹のミチルも、梟島という現実世界から逃れることはできずにいる。「高助と共に東京に行く」というハルコの夢は叶わない。ミチルも嵐山に遊ばれて終わってしまう。エンターテインメントがどういうものであるかを突きつけられるような話だと思った。娯楽はあくまでも娯楽であり、夢は結局夢なのだ。娯楽も夢も、現実と交わらない・現実になり得ないからこそ現実を生きる力となりうるのかもしれない。それを演劇というフィールドで描いているのが、なんとも。

 

こんな感じで過ごした上半期でした。楽しかったねぇ~。

下半期はとりあえず3回ほど『カノトイハナサガモノラ』に行きます。ネタバレを踏まないように気を付けているので、タイムラインやネットニュース等々を薄目かつ高速で読み飛ばす日々がまだ続きます。

(※下書き時点では未経験でしたが、晴れて1回目を終えました。混乱しました。ぽんこつなのでいろいろ処理できないまま“20th Century”の歴史と空気をずっと見ていた気持ちです。また感想書きたい。)

それ以降もチケットがとれたらいろいろ行きたい。行くとしたらたぶん大体東京になるかとは思う。東京への新幹線の年パスが欲しいレベル。きっと人はそれを「定期券」と呼ぶ。そして下半期こそ感想をまめに書きたいね~。

おそまつさまでした。

ファンレターを書いた話

タイトルの通り、先日ファンレターデビュー(?)をした人の話。特に中身はないです。

 

5月6日月曜祝日、昼。ゴールデンウィークも終わろうとしている日生劇場のロビーの隅に、四角い箱を見つけてしまった。

だいたい劇場の入り口付近に置いてあり、観客から演者宛のプレゼントや手紙なんかを入れる箱。何かのオタクとしてあちこちを飛び回っている皆様にはお馴染み(かもしれない)例のあれである。ジャニーズではプレゼントはNGなので手紙のみとなっているらしい。観劇の際にあちらこちらで度々見てきたあれが、今回も置いてあるのを見つけてしまった。箱の後ろには“出演者全員分”と書かれた紙が掲示されている。

これまでであれば「次は書こうかな~」とぼんやり思い横目で見ながら通りすぎるだけであったが、今回はなぜかより強く「書こう」と思っていた。

 

今までファンレターを書いたことがなかった。何を書いていいか分からなかったし、ファンレターを書くにあたってのルールもよく分かっていなかった。だから今回、何を書けばいいか、どう書けばいいのか、どのくらいの文量ならばオッケーなのか、分からないことをひたすら検索した。しかし前日までに仕上がらず手元にレターセットもなかったので、開演前に誤字脱字を起こさぬよう震えながら劇場近くのカフェで書くはめになった。何事も準備は大事であると痛感した。

スマホに作った下書きの言葉を幾度も修正し、(そしてうっかり全消しするなどしながら)内容を推敲してなんとかまとめた。綺麗な色の封筒を買って、シンプルな便箋に通常の3倍くらい丁寧に文字を書いた。ほどほどの大きさの文字で便箋1枚半に収まった内容を読み直して、丁寧に畳んで、封筒に入れた。その封筒が折れないように、クリアファイルに入れて、そのクリアファイルも折れないように手帳に挟み込む。更にその手帳が鞄の中で不慮の事故に遭わないように(荷物が多いのでたまに悲惨なクラッシュ事故が起こる)鞄の中を整えた。私にとってはそのくらいの出来事だった。

そうして5月24日、無事にファンレターは日生劇場へとたどり着いた。開演前、恐る恐る近づいた箱の中には、既に可愛らしい模様や色合いの封筒がいくつか入れてある。ぱっと見えた何通かは全て、共演者であるHey!Say!JUMPの高木雄也君宛てだった。若干の手の震えを自覚しつつそっと封筒を置く。余白だらけの封筒に並んだ“長野博様”の文字をちょっと眺めてから、私はチケットを係の人に差し出して劇場の中に入っていった。ついに出してしまった、ファンレター。

 

箱に入れる瞬間、とてもどきどきしてしまった。直接渡すわけでも目の前で音読されるわけでもないのに(そんなことをされたら卒倒するし穴を掘って自ら埋まる気持ち)、私が書いたものをいつかどこかでご本人が見るのかもしれないと思うとなにか恐ろしかった。座席についてからも選んだ封筒から何まであれこれ考え始めてしまう有り様。

(宛名、ちょっと文字がよれていたかも)

(辛うじて色はついているけど装飾が何もないし、全体的に素っ気なさ過ぎたかな)

(もうちょっと何か可愛いげのある言い方をすればよかったのではないだろうか)

(あそこのあれは言葉がおかしかったかもしれない)

手元から離れた瞬間こうである。私はどうも後悔をせずにはいられない性格らしい。当然ながら「今から書き直します」は出来ないので、この反省は次回に活かすことにしようと思いながら開演を待った。

ちなみに書き上げた瞬間スマホの下書きは削除したし、舞台が始まってしまえばそちらに集中してしまうのでもう何を書いたかあやふやです。果たして私は反省を活かすことはできるのか。

 

ファンレターを書いている間、ずっと長野さんのことを考えていた。正確に言えば封筒と便箋を選んでいるときも、レジでお会計をしている間も、完成したファンレターを鞄に忍ばせて劇場に向かって歩いている時間も、ずっと長野さんのことを考えていた。

1回観劇した後でのファンレターだったので「あの場面ではレスター伯(今回の長野さんの役)はああだったな」とか、「ここの表情が良かったな」とか、パンフレットのインタビュー内容を思い出してみたりもして、最初はとにかく舞台の中の長野さんのことを考えていた。しかし途中で舞台のことが置き去りになり、単に長野さんのことを考えていた。ほやほやした気持ちになって、好きだなぁと思った。

日頃、どのくらいの数のファンレターが彼らのもとに届くのか私は知らない。今回の私のように劇場に足を運んだファンもいれば、残念ながら行けなかったファンもいるのだろう。そのうちの何人が彼らに手紙を書いているのか分からない。私のファンレターはおそらく数あるうちのたった1通、しかもこれが最初の1通。内容も奇抜なものはないし、選んだ封筒も便箋もインパクトのイの字もないようなものだ。印象になんか残らなくていい。それでも手紙を書くことで「あなたのことを応援している人間が存在していますよ」ということが伝わればなという気持ちだった。

 

長野さんが出演していた舞台『クイーン・エリザベス~輝ける王冠と秘められし愛』は5月26日に無事に千秋楽を迎えました。私は千秋楽には行けなかったけど、カーテンコールのレポとかを見て「よかったなぁ」とほっとした。鳥頭なりに頑張って思い出したいろいろだとか頭の悪そうな変態チックな目線の感想メモが入っているのでスマホは絶対に落とせない。落としたらいろいろまずい気がする。いつか綺麗に成仏させたい。

お久しぶりです

ばたばたしているうちに年が明け、気づけば2月が終わり3月に突入してしまった。

しばらく更新できる気がしなかったのでブログを非公開にしておりました(元々頻度も月一レベルなのでそんなに見ている方もいないとは思いますが)。そろそろいいかなと再開することにしましたので、お時間のある方はまたお付き合いいただければと思います。

 

ブログの一時非公開と一緒にツイッターもちょっと覗くのを止めてみたりしたんですが、そのなかで気づいたことがひとつ。

私の情報源は大体ツイッターなんだなということ。

テレビ出演、雑誌掲載、CDやらなんやらといったものをツイッターで知ることが多かった。掌にリアルタイムで流れてくる情報はただでさえ少ない私のキャパを一気に埋めていったけど、そこを1度遮断してみると本当に何も入ってこなかった。個人的にアンテナが向いていなかった時期ということもあるかもしれないけれど、こうもぱったりなくなるものかと驚きだった。おかげで取りこぼしいっぱいある。つらい。Supernovaをテレビでやったってまじですか…そもそもバズリズムいつやってるの…私は何を観たらいいの…。

あ、でも『こだわり美学』(別名『ながのひろしのどきどきお料理実験室』)(※ギャグです)はちゃんと見ました。前回もそうだったけど今回もまたノブさん≒ツッコミ目線で見ていた。最終的にみんな楽しそうだったし嬉しそうだったし焼きいもは美味しそうだったのでだいたいオッケーです。第3弾絶対来るやつでは…??と今からそわそわしておきます。そのときはカレー作って食べながら見よう。

テレ東のさかなクンとの番組はそもそも映らない地域なので…でもレポ(?)見たらすごくかわいかったらしくて切実にテレ東チャンネルが欲しい。そしたらよじごじも見られる。欲を言えば魔レスも見たい。

 

更新してなかった間、『TOP HAT』観に行って燕尾服が似合いすぎる坂本昌行さんに恋をしたり化粧バッチリまつげバシバシの多部未華子さんにうっかり惚れたりDVD鑑賞会に参加したり舞台を見に行ってみたり引っ越ししてみたりチケット抽選に申し込んで外れまくって落胆したりしていました。鑑賞会ってその時が初めてだったんだけど私はたぶん向かない人種かもと思ったり…。人見知りだし始まると画面をひたすらガン見してしまってしゃべらなくなる。地蔵か。個人的にはめちゃめちゃ楽しかったんだけど感情の表現と共有が下手くそだよ…。こんな地蔵を参加させてもらってありがたかったです…。

 

今後の予定(誰も興味ない)としては、ありがたいことに『クイーン・エリザベス~』が1枚当たったので、有給もぎ取ってぼっちで参加します。まだ一般も申し込むつもりだし他の舞台も観に行く予定なのでここからしばらく金欠待ったなし。『羅生門』も観たかったけど予定が立たずに申し込みの時点で断念。ちなみに来月の『空ばかり見ていた』は行けるので楽しみです。

金欠とか言っておいてあれですけど鑑賞会に参加してからというもの割りと切実に歌って踊る6人が観たいのでコンサートのチケットが欲しい。ライブDVDも買い揃えたい。

金木犀が香る頃

自分の胸の内をなんと言葉にして良いのか分からないまま、今日という日がもうすぐ終わってしまいます。きっとたくさんの人からお祝いをされたことでしょう。そのたびに目尻にやわらかくしわを寄せた、あの笑顔を見せているのでしょうか。もしかしたら照れたように唇を引き結んだりするのでしょうか。

 

素敵な絵も気の利いた言葉も生み出せやしない私は、こういうときにどうすればいいか分かりません。いつも端の方でじっと他の人たちの様子を伺うばかりです。つぎはぎだらけでまだらの気持ちを見せるのもこわくて恥ずかしくて、結局お決まりの言葉を並べて終わってしまいます。それでもやはり季節がめぐり、金木犀が香り始めると「そろそろだなぁ」と考えずはいられません。私自身とは何の関係もない、だけどたぶんこれから先もまだずっと覚えているであろう1日。あなたを思う多くの人が健康としあわせを願いながら朝を迎え、昼を過ごし、夜に眠るのです。

「ありがとう」も「おめでとう」も、いつの日か直接手渡せたらと思うこともありますが、きっとそんな日は来ないでしょう。だからこうして片隅で、たどたどしい言葉を綴っています。

 

これからもどうぞ、あなたとあなたのまわりに幸福の粒が満ちた日々が続きますように。

長野博さん、46歳のお誕生日おめでとうございます。

お金を考える平成最後の夏

きっかけは友人との会話だった。仕事の話からお金や保険の話題になり、「知り合った頃はこんな話全然しなかったのにねぇ」と時間の流れを感じるなどした。その帰り道、自分はお金についての知識がほとんどないなと考えたのである。

“お金についての知識”と言っても、別にプラスアルファで大儲けをするためのものではない。そこに至るには道が遠すぎる。私が持つべきは基礎の基礎、“自分が支払うお金と得られるお金についての知識”と“どう使ってどう貯めていくかの知識”だろう。

 

生きている限りお金は必要だ。そして意識するしないに関わらず、お金は絶えず自分の周りで動いている。生活に必要な物品を購入する現金であったり、差し引かれる税金の類、使用したクレジットカードの請求、振り込まれる給与と変動する口座残高。

もちろん湯水のごとくあるだけのお金を使っているわけではないし、丼勘定気味だけど毎月の支出を計算したり給与明細だって見てはいる。だけどもう少し具体的に、

  • 今は何にどれくらい使っていて、
  • 今後のためにはいくらが必要で、
  • 金融機関にはどういった仕組みがあって、
  • 自分は何を利用することが可能なのか?

ということを考えたいなと思った。恥ずかしながらこれまでろくにこういうことに頭を使ってこなかったし勉強しようとも思わなかったんですが…友人との会話もあり、その前にひとつ年を重ねたこともあり、さすがにそろそろするべきかなとなりました。自分のことは自分で面倒見るしかないなと思っているので、そうなると一番考えないといけないのってお金のことじゃないのかしらと心配になったというのもある。

貯金は雀の涙だし、正直今の会社では大幅な昇給やびっくりするほどのボーナスはあまり期待できない。かといってお給料がいいところへの転職を明日にでも出来るかと言われても出来ない。すぐには収入の増額が見込めないのならば

  1. 家計状況の把握
  2. 支出の見直し
  3. 預金の活用方法

で少しずつでもどうにかしていくしかないな、という状態です。

 

まずは現状把握だ!ということで、お財布に入っているカード類や支払明細・給与明細や通帳を確認することにした。改めてみるとポイントカードが多いなと気づく。しかも中には有効期限がとっくに切れていたりするものもあったり。明らかに不要なものは破棄したほうがいいですね(当たり前)。レシートもこまめに出してチェックして…というのはたぶん皆普通にやってるんだろう。こういうところよくないぞ私。 

あとすっかり存在を忘れていたクレカがあった。年会費かかってるのに。クレカ自体をほっとんど使わないというのもあるんだけど(チケット代金くらい…?)、自分の手持ちすらきちんと把握出来てなくて引いた。クレジットカードについてちゃんと調べて上手く利用していきたいな。

銀行の口座も、必要に迫られて開設したものの今はほとんど使っていないものとかあった。これを機にこちらも整理をつけたいなと思う。今まで給与口座とは別に貯金用(にした)口座に毎月いくらかお金を入れていた。でも「普通預金よりは定期預金にでもしておいたほうがいい」という話を聞いたりした。無知なのでまず「定期預金とは???」というところから調べ始めました。あれこれ調べてみると「ほほぉ~そうなのか~」みたいな(知っている人からすれば全くたいしたことではないであろう)発見だらけだった。

 

先日、本屋さんで今まであまり足を踏み入れたことのない金融系コーナーに行ったんですが、まあこうもお金にまつわる本がたくさんあるものかと驚いてしまった。“初心者におすすめの投資”だとか、“勝手にお金が増える方法”だとか本当に多様。それだけ関心が持たれている証拠なのだろう。そんな中で棚を眺めていたら、『今さら聞けないお金の超基本』なるタイトルが目に入ったので買ってみた。思い立ったが何とやらってやつです。超基本から勉強しよう。

まだまだ知らないことはたくさんあるので、勉強して情報を正しく取捨選択する能力を身につけないといけないなと思う。働けるうちは働きたいし、でもけちけちせずに楽しむところは思いっきり楽しみたいし、そのための知識はあっても無駄にはならないと信じて頑張ります。自分で知ろうとしないと分からないことが多いよなぁ、というのが今回のまとめ。そんな感じで過ごした平成最後の夏でした。

ある曲についての覚え書き

ここ数年、夏になると聴きたくなる曲がある。

別に聴こうと決めているわけではないのだけど、梅雨が終わって気温が上がって蝉が鳴き出すような時期になると何故だか聴きたくなる。プレイリストからほとんど無意識のうちに探していたりするときもあるから不思議だ。

 

私がこの曲を知ったのは高校生の頃だったと思う。音楽を積極的に聴くようになったのがこの頃で(と言っても幅も狭いし浅いし全く詳しくはない)、友人から薦められたうちのひとつだったような気がする。

四季を基調として作られた連作の中の1曲だが、この曲の中には夏という単語はどこにもない。歌詞を見てもタイトルの単語くらいしか季節が連想されるものは出てこない。それでも聴くたびに「あぁ夏だな」といつも思う。

キーボードのきらきらとした音は照りつける真夏の日差しの欠片のようで、アウトロはうわんうわんこだまする蝉時雨みたいに余韻を残しながら消えていく。目が痛くなりそうな程の青と白のコントラストの下、時間をもて余している夏休み。日差しの強さに頭がぼぅっとして、アスファルトからぐらぐらと立ち上る熱い空気に包まれて、周りの音が全て蝉の鳴き声にかき消されてしまったような中にいるいつかの自分。そんなものを想像する曲だ。

 

この曲を歌っていた人はもういない。いなくなったのは冬の日だった。夏とは正反対の季節。静かで、重く暗い色をした雲がかかる空と肌を刺す冷たい空気で何もかもが縮こまってしまったように感じる季節。

知らせを知ったとき、確かひっそりとした学校の図書館にいて、分厚い冬用制服の上にカーディガンを着ていた気がする。もしかしたら全く違う場所だったかもしれないけれど、その人を思い出すときに浮かぶのは何故かこのイメージだった。

聴き始めたばかりだったのにな。

もっと早く知っていたら良かったな。

もうこの人の新しい声は聴けないんだな。

そう思いながら冬を越して、春を迎えて、雨の季節を過ぎて夏が姿を見せたときにまたこの曲を聴いた。やっぱり夏だと感じた。その人の不在を強く感じた。暑さに強くはなさそうな顔をした彼は夏生まれだった。

 

当然ながら曲自体はいつでも聴ける。いつ聴いても好きだなぁと思う。だけど一番似合うのはきっと夏なのではないかと思う。

夏をテーマにした曲によくある、弾けるような明るさはない。一夏の恋とかそういう曲でもない。歌詞に特別ドラマチックな展開もない。目の前の光景を淡々と述べるような言葉選びで、感傷的にさせる表現を連ねるわけでもないのに心の隅がそわそわする。ずっと昔、無防備に肌を焼いていた頃の自分がふいに顔を出すような気がする。暑さで頭がやられてしまったときに見えた、懐かしい幻を歌ったような曲だと思う。いつかの私や、いつかの誰かの夏の日を思い出させる歌だ。

 

あれから何年か経って、あの人がいなくなってからもそのバンドは活動している。多少環境は変われど私の生活もとりあえず続いている。あの頃と変わらず暑いのは得意ではないし、これと言って具体的な理由も思い付かないけれど夏は割と好きだ。

きっとこれからも気まぐれに口ずさんでは何かや誰かを思い出して、ちょっとだけ感傷に浸って、でも明日には何にもなかったように生活を続けていくのだろうな。雨が止んだら外に出て、目が眩むほどの日差しと蝉が大合唱する季節を歩いていきたいなと思う。

今年も夏が来ましたね。

おもいだした、ここはトーキョー

もう6月も終わりですって。(滑り込み更新)

何てことだ。緩くゆるく月1程度は何か書けたらなぁと思っていたのにもう終わりだと?2018年が半分終わったとか本当なの?光陰矢の如しってこういうこと?

今月は休日に特に遠出をすることもなくうだうだ過ごす日が多かった。梅雨に入ったし、天気が悪いと出掛けるのも億劫になってしまうし(出不精)、蒸し暑くてたまらないから涼しくて快適なところにいたいよねという人間です。THE・怠惰。

 

とか言いながらも灯籠流しが見てみたくて、月初めに北陸へ旅行したことを思い出した。
3月頭くらいから考えていたのだけど、友達が少なすぎる上に中途半端な人見知り故に気軽に誘える人もいない(書いてて悲しくなってくるな…)から、最初から一人で行くつもりだった。というより、基本的に「人を遊びに誘う」という行為がひどく苦手だからあまり考えていなかった。結果としては当日考えていた一応の予定もがんがん変えていってしまったので、むしろ振り回さなくてよかったなと思ったりもした。 

しかしこちらが日本海側で気ままに甘味を食べ歩いてへらへらしているうちに、友人Aは恋人と婚約指輪(仮)を見に出掛け、友人Bはお相手の御両親と顔合わせを済ませたようだ。Twitterで知った。
…泣いてない。大丈夫。楽しかったもん。美味しいもの食べたもん。金箔付きの烏骨鶏の卵のソフトクリーム美味しかったもん。

 

北陸は今回が初めてだったのだが、舞台などを観るためにときどき東京へ行く。最近だとナイロン100℃『百年の秘密』を観るために行った。お勧めしてくださった方がいてよかった、観て良かったなと時間が経っても思う作品だった。

夕方の開演だったのでお昼過ぎくらいから下北沢にいてご飯を食べて、時間まで路地やお店をうろうろしてみた。

自転車を押した主婦らしき女性や犬の散歩中のおじさん、観光に来ている外国人グループ、高校生の集団、工事中の迂回路の案内が張られた壁の前で待ち合わせをしていたカップル。そんな中でスマホを片手にきょろきょろしながら歩いていたので、私が地元の人間でないことは誰が見ても明らかだった。

終演後、外に出るとそこかしこの飲み屋さんの明かりがついていて、仕事帰りなのかスーツ姿の人たちが寛いだ表情でお酒を飲んでいた。昼間とはまた違った通りの風景を横目に駅に向かい、ホテルに戻って眠りに就いた。

翌日はチェックアウトぎりぎりまでホテルで過ごし、Googleマップに印をつけていたお店を思い出したのでそこへ向かう。そのあとに調べていて気になった喫茶店の一角から、ぼんやり道行く人を眺めて次の行き先を考えていた。

汗をかいたグラスの中に残されたレモンと氷。食器が触れ合う音、女の人の笑い声。仕事の話、隣の席から聞こえるペンの音。さりげないとは言い難いボリューム流れる弦楽のBGMは、途切れてはすぐにまた別の曲へと続いていく。

店内に漂う煙草の臭いが服に付くかもしれないと気にしながらオムライスを口に運んでいる途中で、「そうだ、ここは東京だ」とふっと思った。

 

以前は東京に一人で出掛ける機会なんてなかった。地方で生まれ育った私にとっては遠い遠いほとんど他人みたいな親戚がいるくらいで、馴染みがない都市だった。『東京』でも『とうきょう』でもなく、『トーキョー』という表記がしっくり来るような場所だった。どことなく角張っていて、無機質で襟を正したよそよそしいイメージを抱いていた。

だけど新たな世界に足を突っ込んだら違う姿が見えてきた。「違う姿」というより、私が勝手に抱いていた近寄りがたさが和らいだとでも言えばいいのか。

トーキョーは人が多くて、娯楽もたくさんあって、便利だ。地方で体験できないことがあちこちに転がっている。でも普通の街だった。決して勝手に私が抱いていたような無機質さだけで成り立っているところではなかった。私と同じようにどこかの会社に勤める人がいて、晩御飯どうしようかなと考える人もいて、休みの日には友達と出掛けようと計画する人がいて、情報も人も手段も地方より遥かに密集しているだけだった。考えてみれば当たり前のことだ。でも私はそのことにあまり意識がいっていなかった。

そんな街で、時間をどう過ごすかを決めかねて喫茶店でぼーっと道行く人を眺めてオムライスを食べている自分。その気になればいつでも来ることができるのだと知った街で、昨日新幹線で来たくせに、まるで暇潰しでちょっと散歩に出てきただけであるかのように何も決めずにふらふらしている自分。それがなんだか不思議だった。

訪れる回数が増えて、ぼんやりながら知っている場所も増えて、ある種の慣れが出てきたのだろうか。喫茶店の片隅でなんとなく『トーキョー』が『東京』に近づいたように感じたのだった。 誰かの夢も現実も幻想も失望も娯楽も不安も混ざりあってあちこちに転がっている街は、明日もきっと明るく光っていることだろう。

 

舞台のチケットがとれたので11月にまた東京に行く。でもそれまでにもたぶん行くだろうなと思っている。行ってみたいお店もあるし、久しぶりに会いたいなと思う人もいるし、気になっているものもいくつかある。美味しそうなかき氷も見つけてしまったので夏の間に行きたいなと思う。一緒にはしごしてくださる方大募集してます。