愛しさと切なさとあれこれ

2018年を迎えましたね。今年も好きなものを好きなだけの精神でいきたいと思います。お付き合いいただける方はよろしくお願い致します。

 

昨年末からお正月三が日にかけて、こたつで寝過ごしたりみかん食べたりおせち食べたりお雑煮食べたり(つまりはとんでもなく堕落した生活を送り)ながらとりとめもなくいろんなことを考えていた。その中でも、というかジャニーズを好きになってから実はずっと気になっていたことがあるのでそれについて書いてみようと思う。

それはジャニーズファンの間で使用される“担当”という独特の表現について。

 

簡単にいうと「自分が誰を一番に応援しているか」という表明で、女性アイドルに対しては“推し”、宝塚では“贔屓”という言葉が多く使われているようですね。明確に区別されてるわけではないけど、ジャンルによって違いがあるのが面白いなぁと感じた。ジャニーズファンはブログやTwitterで「○○(自分が好きなアイドル名)担です」などプロフィールに書いていることも多い。初めましてのファン同士では「誰担ですか?」なんて尋ね合うこともある。そのためジャニーズファンにとっては名刺のようなものでもあるとも感じている。

同時に複数の担当をつくる(つくる、という表現は的確なのか…?)人や、「担当は一人!」と決めている人もいる。もちろんはっきりとした担当を持たずに、敢えていうならば“事務所担”として幅広くファンである人もいるので応援スタイルは様々、十人十色どころか百人百色と言っても過言ではないかもしれない。

“担当”に関連する表現でいうと、

  • “担降り”=一番に応援する対象から外す
  • “担上げ”=一番に応援する対象とする
  • “担変え”=一番に応援する人を変える
  • “同担拒否”=同じ人のファンとは仲良くできません

なんていうのもあるようだ。意味は私が聞いたりしたニュアンスなので若干の違いはご容赦願いたい。

 

それにしても好きなジャニーズアイドルに対してその人を“担当する”というと、まるでマネージャーか何かにでもなったようで重大な責任が生じてくるような気がする。だって“担当”ですよ。

“一定の事柄を受け持つこと”(小学舘デジタル大辞泉より引用)ですよ。

ファンになる前、初めてこの表現を知ったときは

(ジャニオタと呼ばれる方々は相当の覚悟と熱量をもってファンをやってるんだな……)

という感じでした。でもこれは間違いでもないのかもしれないと思うことも多々ある。

先日もある方の担降りブログがちょっとした話題になっていたが、私ははてなブログを始める前からジャニオタによる“自担”(自分の担当するアイドル)についての溢れんばかりの情熱をしたためた記事や、“担降り”あるいは“担変え”にまつわる記事を読むのが好きです。新規の私が漠然と「ジャニーズに足を突っ込んだらはてなブログ」だと思っていたように、あっちこっちに読みごたえのある記事がある。もちろんジャニオタ対象アンケートみたいな集計記事もとても面白いし、ライブレポなんかも素晴らしいものがたくさんあるので勉強になるなと毎回感じている。

「この人のここが素晴らしい!」「私はここが一番好きだ!」「ぜひここを見て欲しい!」という熱意のこもったブログはまさに売り込み、他担(他のアイドルを応援している人)へのダイレクトマーケティング。そして自担に対する己の気持ちの揺らぎ、悩みや落ち込み、戸惑いや躊躇いの果てに導きだした結論「大好きでした…さようなら…」で結ばれる、読み手の気持ちをも引き裂くほどの切なさで溢れた決別の手紙ともいうべき担降りブログもある。それらの中には筆者が許すなら出版して欲しいと思うレベルの芸術的表現と熱量で書き綴られたものもある。本当にびっくりする。どこでそんなに語彙力を身に付けたんだ皆…というか何歳なの…普段何してる人なの…?

 

ジャニオタ全員がブログをやっているわけではないのだが、24時間365日(たぶん)いつもどこかで誰かが自分の中の情熱を言葉にしているので、とてもではないが全てを読みきることは難しい。アイドルの数だけその人のファンがいて、ファンの数だけ応援スタイルがあり情熱の度合いも抱える思いも違う。同じ出来事を見ていても担上げする人しない人、担変えする人しない人がいる。ある人はたまたま自分が見たアイドルの姿に心を撃ち抜かれてその人を“自担”とする決意をし、またある人は今まで見てきた自担の姿とそれに対する思いが積み重なって“担当を降りる”決意をする。それをブログ記事という見える形で残す人もいて残さない人もいる。Twitterで呟く人もいる。

しかし自担の熱烈PRブログも担降り担変えブログも140文字の呟きも、どれも読んでいて感じるのは「自担(あるいはそうだった人)への愛」。なんならブログも何も残さずに応援している人にだって当然その対象にいろんな愛はある。はず。見える形にならないだけで。

自分の可能な限り都合をつけて、許される時間とお金と気持ちを捧げてその人を、グループを“担当”する。それが惜しくないと思える存在と出会う。ひとつのことについてひたすらブログとか書ける熱量を持っているの、凄くない?普段普通に生活していてその熱量を維持できるものが私にはない。『好き』のパワーは凄い。そしてだからこそ、そこから離れるときにも簡単にいかないことが多いんだと思う。

ひとくくりで担降りブログといっても、本当にいろいろなパターンがある。

何でもない瞬間で一気に熱が冷めた人、今の自担の姿にどうしようもなく葛藤してその結果他の担当へと変わる人、この人だけ!と思っていたのに雷に打たれたかのように別の人にしか目がいかなくなった人。

みんな確かに過去のあの時あの瞬間は(元)自担に対して爆発的な『好き』を抱いていたはずなのに、まるで幻でも見ていたか頭がおかしくなっていたのかと思うほど冷静に自担を見ている瞬間があるのかもしれない。それに突然気づくと、動揺するし戸惑うし不安になる。いろいろ考えて分析して、最終的に“担当を降りる”という決断を下すのだろう。自分のために。自分が安らかでいられるために。

アイドルからすれば、たくさんいるファンのうちの一人が自分の応援をやめたことなどとるに足りないことかもしれない。担降りがあったことにも気付かないまま(そもそも担降りという現象自体を知らないかもしれないな)歌って踊って演技して、その他のファンを魅了し続けるのかもしれない。

でもファンにとってはそのアイドルが唯一無二の存在だから、どうしようもなくやりきれない気持ちにもなるんだろうなと思う。その人が愛したアイドルは一人しかいないから。似ている人はいても、同じではないから。

『好き』だったものから手を離す瞬間はどうにも切ない。自分から離れることを決めたにしても、まだ『好き』が残ったままになっていることもある。それを越える『好き』と出会ってしまった結果の担変えもある。お金や時間や気持ちをかけてきた分、完全に冷めたときにかわいさ余って憎さ百倍というか、愛憎表裏一体(憎ではなく、関心が持てなくなったという方が近い気もする)という感じでの担降りもたぶんある。

何にせよやりきれなさにけじめをつけるため、自分の気持ちの整理をつけるためにブログを書いてみたりするんだろうなと思う。他担が読んで思わず涙がこぼれそうになってしまうのも、いつか自分にも来るかもしれない“担降り”の瞬間を考えずにはいられないからなのかもしれない。書き手と同じ人を担当していた人なら尚のこと、綴られている気持ちが胸に突き刺さるのだろう。

「アイドルのファンなんて所詮は趣味の範囲内でしょ」という人もいるだろうけど、それが何年何十年と積み重なっている人にとっては最早ライフワークで、もしなくなるとしたらそりゃあいろいろ考えるし気持ちのバランスだって崩れてしまいそうになると思う。

そう考えるとファンがあるアイドルを“自担”にするということ、そして“担当から降りる”ことは、最初の方でも書いた通りやっぱりそれなりの覚悟と熱量があってのことだし、“担当”という表現は相応しいのかもしれない、と勝手に納得した。そんな年明けでした。